謝罪

ほんとにごめんなさいをしたいときほど謝れないんだと思った。ごめんなさいって言うのはエゴ、もし許されなくてもごめんなさいって言ったから私は気分が良くなって後悔がないって次に進む。あったことは全てなかったふりして進んでいく。言葉が出ない。最低な自分しか存在していない。どこにも居場所がない。でもトイレは少し落ち着く。

とても苦しい 息をしていること

はあって、涙を流してから次の涙を流すまでの間の息を吐ききるタイミングが1番心地がいい。人間ってどうしたら苦しくなくなるか今日は、大学の本を読んでみた。他人を完全だと思うことが傲慢だみたいなことが書いてあった。

壊れるまで頑張らなきゃいけない気がしてたまらない。壊れてからもオイルの足りない部品を動かすようにぎぎぎぎと動かし続け、寿命が来るのを待つ。もうほんとうに、最後の神経のひとつの、細い、先の方の部分が動かなくなるまで動かす。そしてもう二度と動けなくなる。オイルを足したらいいのに、みんなはいう。オイルっていうのはちょっと悪いことを認めることだ。ちょっと目を伏せられているようなことだ。それを認めたくない。なぜなら潔白でいたいからだ。どうしたらいいか分からなくなってしまった。オイルの継ぎ足し方なんて教わっていない。耳元でちょっと大きい声で、おーいって言われたらそれだけでちょっと参ってしまう。

 

この価値観は私のものであるかと言われたらちがう。今私が関わっている、世の中を苦しみながらなんとかなんとか生きている人のことを想像しているだけだ。きっと。当の私といえば、多分そういう部分はちょっとくらい見過ごせてしまうのだ。100にしなくたっていいのだ。それを分かっている時期があったから。じゃあなんでこんなことを考えるのかといえば、どうしてあんなに努力している人がこうなってしまったんだろうという、哀れみに近い気持ちなのだけれど、そんなこといったら絶交されてしまう。絶対にもう二度と生まれ変わっても、絶交宣言だ。わたしだって可哀想って言われるのがすごくすごくすごく好きじゃない。

しかし相手の立場に立って物事を考えるには、わたしはまだ経験が浅い。本当は人と話す時、相槌を打つのが許されるか否か、わたしはそんな人間なのだ。例えば死ぬと同じくらいつらい努力をしたとして、それを一言にまとめられたらもう二度と関わりたく無くなる。私なら絶対そうだ。希望をこれだって決めて必死にもがいてきたその過程を嫉妬の対象にするなって、こんなにキレイなものを汚すなって、喉が切れるくらい叫びたくなる。でもそんなことを言ってしまったから。わたしは、最低だ。

生きたいのに生きることは苦しい

 気づいたら衝動的に薬を8錠のんでいた。何も出来ない自分にやんなっちゃったから泣きながら。効いてきたあたりで死にたくないと思った。だから全部吐きたくてトイレにオエーってした。あいにく、吐くことにはとても慣れている。最高だ、今までの吐く体験はこの時のための予行練習だったのだ。指を突っ込まなくても吐けてしまうから最高だ。でも最後まで出したと、気持ちだけでも楽にしたくて指を突っ込んで吐いた。

 みんなは薬8錠くらいで死ぬわけないと思うのかな。わたしもそう思う。ちょっと気持ち悪くなりすぎたり、ぼんやりしたところに長くいすぎてしまうだけ。でも次起きた時にはもう、わたしじゃなくなっているのかもしれない。

 2年くらい前に薬を22錠のんだときの方が死にたかった。ぷらぷらと布団で漂っていた。とんでもなく吐き気に悩まされ、いくら吐いても吐き足りなくて苦しい。そんな経験があるのにわたしはまた、衝動的に同じことを繰り返すところでした。

 

 ここからは、推測だけれど、多分今までも、薬で死んだ人がたくさんいるはずで、それはみんな、生きたかったけど助からなかった人のような気がするのだ。死にたいって願いが叶ったなんて綺麗事じゃ片付けられないのだ。そう思う。

 すぐに助けを呼べば生きられたかもしれないのだ。その後の苦しみはきっと計り知れないだろうが、それでも苦しんで世俗を生きていくことができてしまうのだ。だが、助けを呼ばなかった人がいるんじゃないか。死と生の間を彷徨って、死を選んだような気がした。

 

 わたしといえば、トイレに毛布を持ってきた。こんな状態じゃ暫くは横になれそうにもない。涙も止まらない。吐き気もある。突然止まらなくなってしまったものは、ゆっくり受け入れていくしかないから、布団にくるまってトイレであたたまるのだ。ぬいぐるみを持って曲を聴いて泣きながら吐いているのだ。助けを求めるんじゃない、ここで自分を救うのだ。そんなつもりで。

 

涙が止まらない。わたしにできることってないのにどうして生きているんだろう。薬が効いたなら早く眠くなれと思うけど、これ眠くなる成分入ってないんだった。ひたすら現実と向き合って疲れるしかない。簡単に楽になろうとした自分への罰だ。どうしようもならないことってたくさんあるけどそれを諦めちゃだめって、やったらできるって言うのが世の中なのだ。嘘つきめ。努力は裏切ることがあるんだ。わたしが努力を裏切るのではなく、努力がわたしを裏切るのだ。みんな知らないのだろうか。知ってて知らないふりしてるのか、そしたらすごく器用だな。こうして泣いていたってなにか成長するかな。明日にはまた、何にも優れない自分が存在するだけなのに。比較してしまったら、人よりちょっとだけできる、でも全然未熟な自分がそこにいるだけなのに。

今は泣いている自分しか許してあげられそうにない、

メモ:感動した曲①

 私は曲を聴くことがとても好きだ。曲は、叫べない時に代わりに叫んでくれるし、自分でも分からない気持ちを代弁してくれる。悲しい気持ちに寄り添ってくれる。どこかに行きたい時に連れて行ってくれる。曲があるだけで、そんなに好きでもない花火が綺麗に見える。

 ポップしなないでがどんなバンドかは各々調べてほしい。わたしが話したいところはどういう経緯で何が生み出されたかということではなく、わたしがどう感じたかのその1点であるからだ。それに、わたしはとてもニワカである。だから、下手な説明は出来ない。(←普通こういうことをいうためには、そういう細かい部分が必要なのだと思う…。)

 

 わたしがさっき聴いて感動した曲はこれだ。

【LIVE】ポップしなないで「ロケットダンサー」@渋谷WWW - YouTube

 

 ひとりぼっちで勉強している時に聴きたいと思った。旅行したら、聴きたいと思った。泣きそうになった。この感情を忘れたくないと思った。

 

あれ?感想の書き方が下手になったかもしれない。

 

2023-2-10

嘘をついたことがある。

もうすごく小さい時の思い出で、記憶がスカスカになっているが、私は覚えている。

私の母親は買い物に行くと、私と弟をレジの列に並ばせたまま、なにか別の商品を取りに行くことがしょっちゅうだった。

それは幼稚園児の頃からあったのではないかと思う。

カゴに入った卵を落とさないように見守るのが、私たちの役目だった。

ある日、私と弟が列に並んでいると、すごく疲れた顔をしたサラリーマンの人が後ろに並んだ。あんまりにも疲れた顔をしていたから、早くレジを終わらせてほしくて、私たちはちょっと話し合いをした。そして、小学校低学年の頭で考えて出た言葉は、「先どうぞ!私たちまだレジできなさそうなので!」だった。

そのサラリーマンの人の、びっくりした顔と、笑顔の「ありがとう。」って言葉が、いつでも思い出せる。私と弟はお互いに顔を見合せて笑った。「ちょっといいこと出来たね。」と。

今考えると、どんな記憶なんだ?と思うが、私はその思い出をたまに思い出す。

最初の方は、「私はなんていいことをしたんだ…。」という優越感に浸っていた。だけど最近思う。とても悲しくはないだろうか。こんな見ず知らずの人の顔色も伺うような家庭環境にいたことが、とても悲しい。

でも、あのお兄さんが、笑顔でありがとうと言ってくれたから、私の中ではいい思い出になっている。

いつかの日記

わたしは絵本を読んでいて、それをにこにこして眺めてくれてたらそれでいい 足の甲に柄が入ってる靴下履いて、うれしくなったらわたしは笑う 泣いてたらなぐさめて、受け止めて、 晴れたらどこか出かけようねって そうやって日々が過ぎていけばいいのに