生きたいのに生きることは苦しい

 気づいたら衝動的に薬を8錠のんでいた。何も出来ない自分にやんなっちゃったから泣きながら。効いてきたあたりで死にたくないと思った。だから全部吐きたくてトイレにオエーってした。あいにく、吐くことにはとても慣れている。最高だ、今までの吐く体験はこの時のための予行練習だったのだ。指を突っ込まなくても吐けてしまうから最高だ。でも最後まで出したと、気持ちだけでも楽にしたくて指を突っ込んで吐いた。

 みんなは薬8錠くらいで死ぬわけないと思うのかな。わたしもそう思う。ちょっと気持ち悪くなりすぎたり、ぼんやりしたところに長くいすぎてしまうだけ。でも次起きた時にはもう、わたしじゃなくなっているのかもしれない。

 2年くらい前に薬を22錠のんだときの方が死にたかった。ぷらぷらと布団で漂っていた。とんでもなく吐き気に悩まされ、いくら吐いても吐き足りなくて苦しい。そんな経験があるのにわたしはまた、衝動的に同じことを繰り返すところでした。

 

 ここからは、推測だけれど、多分今までも、薬で死んだ人がたくさんいるはずで、それはみんな、生きたかったけど助からなかった人のような気がするのだ。死にたいって願いが叶ったなんて綺麗事じゃ片付けられないのだ。そう思う。

 すぐに助けを呼べば生きられたかもしれないのだ。その後の苦しみはきっと計り知れないだろうが、それでも苦しんで世俗を生きていくことができてしまうのだ。だが、助けを呼ばなかった人がいるんじゃないか。死と生の間を彷徨って、死を選んだような気がした。

 

 わたしといえば、トイレに毛布を持ってきた。こんな状態じゃ暫くは横になれそうにもない。涙も止まらない。吐き気もある。突然止まらなくなってしまったものは、ゆっくり受け入れていくしかないから、布団にくるまってトイレであたたまるのだ。ぬいぐるみを持って曲を聴いて泣きながら吐いているのだ。助けを求めるんじゃない、ここで自分を救うのだ。そんなつもりで。

 

涙が止まらない。わたしにできることってないのにどうして生きているんだろう。薬が効いたなら早く眠くなれと思うけど、これ眠くなる成分入ってないんだった。ひたすら現実と向き合って疲れるしかない。簡単に楽になろうとした自分への罰だ。どうしようもならないことってたくさんあるけどそれを諦めちゃだめって、やったらできるって言うのが世の中なのだ。嘘つきめ。努力は裏切ることがあるんだ。わたしが努力を裏切るのではなく、努力がわたしを裏切るのだ。みんな知らないのだろうか。知ってて知らないふりしてるのか、そしたらすごく器用だな。こうして泣いていたってなにか成長するかな。明日にはまた、何にも優れない自分が存在するだけなのに。比較してしまったら、人よりちょっとだけできる、でも全然未熟な自分がそこにいるだけなのに。

今は泣いている自分しか許してあげられそうにない、