起き上がり小法師が目の前にある。
これは高校の卒業式の日、保健室の先生にもらったものだ。その先生は今、出産をして、子育てをしている真っ最中だろう。なぜなら、卒業式の日は、その先生の出産予定日が近く、別の先生がビデオ通話で、お別れの挨拶をさせてくれたからだ。
起き上がり小法師をもらった時、私は学校に行けていなかったのにも関わらず、推薦で大学に受かり、高校を卒業した自分を責めていた。何一つ、本当の気持ちで行動できなかった自分を気持ち悪いと思っていた。
人を信じることがとても怖い。善意の気持ちも手紙も今までかけられた言葉も、きっと全部いつかは嘘になると思っていたし、今もそう思ってしまっている。悪い子だ。
「世界」と「拒絶」はずっとイコールの関係だった。それは多分、親のせいだと思う。
酒、タバコ、不倫、家族の喧嘩、裁判、果てには夜逃げなど、私は家族の揉め事に巻き込まれ、いろんな経験をした。そんな親からかけられる言葉はいつも冷たかった。されることはいつでも丁寧じゃなかった。
取り繕うことが唯一の生きていく方法で、どこにも居場所なんてない。だれにも気を許さない。見せかけの笑顔に大人たちは、「いい子だね。」と言ってくれる。ちょっと頑張るだけで、ちょっと人に選択肢を譲るだけで、「真面目だね。」「えらいね。」「すごいね。」「頭いいんだね。」もう聞き飽きた。
家庭が全ての元凶なんだから、ここを壊せばいい。そう思ったのは小学生の時で、私は行動に移したけれど壊れなかった。というか、もともと壊れていたから、私の少しの攻撃でどうにかなるものでもなかった。呆れるほど狂っていたから、どうしようもなかった。
もちろん修復したいとも思った。だけど、親の喧嘩の途中に、私がかける言葉なんて1ミリも本人たちには届かなくて、自分の言葉がもっと信じられなくなった。
私の本当の居場所はどこなんだろう、と思い始めたのは中学生になった頃。捨てられそうになって、私は泣いて、そしてはじめて、私は今いる場所が、いてはいけないところだと思った。
家出しようとして、枕ひとつ持って家を飛び出したこともあった。「邪魔だ」って面と向かって言われて悲しくなったこともあった。包丁が怖くてたまらなくなった。いじめられてることはずっと隠してた。勝手に物を取られても、仕方ないで済ませるような人間になっていた。
そうするうちにいつしか、息を殺して生きることが平穏につながるという思い込みを無くせなくなった。
もちろん、もっとつらい人はいるに決まってる。私はそれでも帰る家はあったし、親と呼べる人はいた。でも、帰りたい家じゃなかったし、親という単語を涙無しに口に出せるようになったのは、つい最近のことだ。
だからずっと、なんとなく、いつもどこかに穴が空いている。それを適当に埋めようとしてしまったらおしまいだから、ギリギリのところでなんとか耐える。
私がもし、親に1度でも好きとかありがとうとか、えらいねとかがんばったねとか、よしよしとか、すごいね!とか、そういう言葉をかけられていたら、きっと穴ができたとしても、もしくは穴に落ちそうになっても、そういう言葉たちが蓋をしてくれるんだろうと思う。
でも自分にはそういう言葉がないから、1から自分で見つけて、自分に分からせてあげないといけない。
幸いなことに、わたしの周りにはとても情緒的な人がいる。昔のまま、人を信じられずにいたら、きっとそれは死へと繋がっていたと思う。だから、ありがとうって気持ちでいっぱいだ。
何も信じていなかった頃の自分がかけられた言葉を思い出して、ちょっとでも心をあったかくして、
そういう言葉が私を生かしてくれているはずだって、
今は少しだけ信じられる心があるから、手放さないようにずっと掴んでて、
いつまでも信じないままでいたらだめなんだからね!って、委員長の私が怒る。
言葉をずっと拒絶していたから、もう何年も、あたたかさなんか忘れていて、もらったことがあんまりないから思い出すこともできなくて、
だからずっと苦しかった。