youngangelのブログ

まだ生きてるずっと生きてる

もう友人はいない

 不在着信に懐かしい名前があった。それは、私からすると祖母の名前だ。祖母からすると私は孫だが、そんなに深い関係じゃない。

 祖母はいつも大事なことを話してくれない。というか一家全員がそんな感じだ。話してくれれば良かったのにということをため込む。それを知る方法は、彼女とたくさん会話して、ふと言葉が出てくるのを待つしかない。聞いても教えてくれないとは、なかなか厄介だ。

 昔の私の家庭環境はあまり良くなかった。だから、友人と呼べる人がいなかった。小さい時からずっと私の悲しい気持ちを聞いてくれる人はいなかった。

 でも、私は独りじゃなかった。なぜなら、友人は家にいたからだ。もっと詳しく言うと、人ではない。動物だ。

 産業動物である友人は、売ってしまえばお金になる。生きたお金。だから私はずっと売らないで、とただをこねていた。運良く、彼女は繁殖する側に選ばれ、その瞬間から、10年の命は確約された。死ななければの話だが。

 そんな友人もついに売られてしまったという。悲しくなった。なぜなら、つらい話を聞いてくれた友人がもういないのだから。

 動物だから私たちより寿命が短いのは分かっていたけれど、まだ生きているのにお別れしなくちゃいけないだなんて、死んであの世で会うよりもむごい別れ方だと思う。人間の恋人とか友人とかのそれとは訳が違う。私の親より私の気持ちを知ってくれているのだ。言葉を理解していなくても、同じ時間を共有して、時には元気にさせてくれた。彼女がいてくれたから、私はただの動物好きとして育つことが出来たし、動物を信じることが出来た。彼女のおかげで、小学生の時、作文ですごい賞がとれて、文を書くことが好きになった。こうして今、動物のことを学んでいるのも、彼女たちのおかげである。

 何も自信がなかった私を間接的にこんな風にしてくれたのだ。感謝しかない。食べ物としてではなく、友人として私を生かしてくれた。

 そんな友人は、もういない。